山梨県南部町北郷 若宮八幡宮
主神高倉宮以仁王
以仁王逃亡経路
三井寺~琵琶湖(舟)~美濃の国~東海道~駿河国阿倍川下流服織荘~阿倍川上流~苅安峠~南部豪成島村~本郷村(若宮八幡宮)
昭和52年2月10日発行
以仁王逃亡経路
平等院~駿河国~伊豆国~甲斐国~信濃~上州沼田~戸倉村沼山
著者安藤紫香氏が「はじめに」として書いた文章と、巻頭言に登場する3名の方々の主張の大きな乖離にまず驚かされる。
この3名の巻頭言で、”奥会津に伝わっている以仁王逃亡伝説は史実ではない” と世の中に宣言してしまった。
つまり、3名は ”まぼろしを消し得ない人は、安藤君、お前だろう” と言ってこの本の内容を全否定しているのである。
著者から巻頭言を書くことを依頼された方々が、本の内容そのものについて、このような言葉で全否定するような本を、私はこれまで見たことも聞いたこともない。
その3名の失礼極まりない巻頭言をここに示そう。
巻頭言 会津民族研究会長 山口弥一郎
「柳田国男の名著「伝説」をよく読みこなし、私どもの民俗研究会でも昔話と伝説、現在の民話まで充分論じあっていながら、幼くして聞き覚えた郷里南会津の幾つかの至尊・貴人の流寓伝説に畏れをいだいて育ったために、史実としてのまぼろしを追いつめようとの念願を断ち切れないでいる人々がいる」
巻頭言 福島県民俗学会会長 岩崎敏夫
「微に入り細にわたって、あたかも歴史絵巻を繰り広げるような錯覚を起こし伝説であることを忘れるほどであるのは、伝承が歴史的叙述の形をとっているからである」
巻頭言 酒井白澄
「勿論史実として証明出来る何物もないでしょう。しかし、伝説にもせよ、今日まで語り継がれてきたその間、多少の作為的虚飾が入り混じったとしても(中略)独特の地方文化の生んだ偉大なる創作だとは言えないでしょうか」
これに対し、著者の安藤紫香氏はこう述べている。
著者 安藤紫香
「はじめに」
「以仁王の口碑伝説が・・・歴史上の人物を巧みに取り入れて、何者かの作意によったとしても、今でも真実の歴史であると言い切る人が奥会津には数多くる。・・・その言い伝えをすなおにまとめてみた」
安藤紫香氏の悔しさを読者の皆様、感じ取ることが出来たでしょうか?
この本が出版された数年後に、新潟県小国町の旧家から偶然に以仁王に関する2本の巻物が発見され、その巻物の内容を柿花仄氏が『皇子・逃亡伝説』として出版する。
その本を読んだ安藤紫香氏は、意を決して再び『会津の伝説』を出版するのである。
当然ながら、巻頭言を書いた3名は、もう登場しない。
高倉宮以仁王の会津潜行記
2007年5月30日第1刷発行
以仁王逃亡経路
宇治平等院~淀川を下る(舟)~駿河の国~伊豆の国~甲斐の国~信濃国~上州沼田~尾瀬~省略
安藤紫香氏、2冊目の「以仁王の逃亡伝説」である。
安藤紫香氏が高齢のため、滝沢洋之氏が共著の形式をとっている。
この本を再出版した理由は、先の「会津における高倉宮以仁王」の本が世に殆ど無くなってしまったこと。
柿花仄氏の「皇子逃亡伝説」が出版されたことで、会津の以仁王逃亡伝説を再び世に問う必要性を感じたためである。
新潟日報2006年4月2日 朝刊
文/整理部長 阿達秀昭
新潟県の地方新聞社が紙面二面を使って報道した貴重な記事である。
阿達氏は、以仁王が隠れ住んだとされる中山集落を訪れ、感じたままを新聞紙上に発表した。
杉崎 巌 著
平成元年6月28日発行
渡邊唱は以仁王一行の総大将である。
唱は頼政の子である越後の小国城主頼之を頼って、ようやく小国領に到達したが、領内には入れてもらえず、王の子鶴丸(田千代丸)を、預けるのが精いっぱいであった。
結局、唱と以仁王は、唱の根拠地、小川庄へと向かった。
本著は、旧上川村に「越後国蒲原郡小川庄野村住渡邊家代々略伝譜」とする「渡辺家文書」というものが存在し、そこには
1 高倉宮以仁親王当国御下向御事蹟之事
2 渡邊家略譜 他
が記されている。
この「渡辺家文書」には
渡辺唱が小川庄出身であることが述べられている。
『小川庄は小国領の一部で、唱は、かって、小国領主から小川庄に遣わされた』とある。
頼政が「越後小国頼之の所に行け」と命令したもうひとつの理由がこれで納得できた。
つまり、「以仁王をお前の領主の所に連れて行け、受け入れてもらえぬ場合はお前の故郷の小川庄に連れていけ」という訳だ。
又、この本には、以仁王に随行してきた者にも一人ひとり言及しているが、肝心の ”以仁王” については、小川庄でどのように生きてお亡くなりになったのかの記述が全く無い。
おそらく、意識的に隠したのであろう。
もう一点。
以仁王の逃亡経路であるが、三井寺から平等院に行き、途中を一切省いて沼田に着いたと有り、これも唱の作為を感じる。
鶴丸(田千代丸)については、小国に預けたとは書いて無く、小川庄に連れて来たとしている。
これも、唱の苦心の作為を感じる。