【伝説・以仁王の終焉の地】
新潟県の地方紙「新潟日報社」が半面を使って報じた阿賀町上川地区中山集落に眠る高倉宮以仁王を紹介した渾身の特集記事である。
以仁王の逃亡記はほとんどがあり得ない単なる作り話としているのに反し、記事を書いた阿達秀昭さんは中山集落に入り丹念に取材の上、地元民に寄り添うような優しい目で記事を書いているのが読者の心に響いてくる。
毎年4月3日の王の命日に、高倉神社の祭りがある。「御祭礼」の幟を預かる清野幸栄さん宅他中山地区の家々では赤飯をつくり酒を酌み交わして、伝説の悲劇の王をしのぶのが習わしとなっているという。
同町上川支所の猪章一次長は「王がひっそりと隠れるように住んでいたからだろうか、地元では口に出すことは少なくムードが盛り上がらない。きちっとした形で残すことを考えないと今の時代王の伝説継承は終わってしまう」と記事に書いている。
写真 ひっそりと佇む中山集落
以仁王が滞在した唯一の痕跡とする鉄製の足高茶釜(清野幸栄さん所有)
中山集落の高倉神社
以仁王のお墓
御子塚