以仁王物語 小幡充著
表紙の副題に「義仲に平家討伐を令され都で討死と伝う高倉宮の木曽潜居史跡伝説から綴る」とあり、以仁王が木曽に潜行した言い伝えを綴ったものと勝手に思い込み、読み始めた。
これが史実だとすれば、私の主張する以仁王の逃亡経路を大幅に修正しなければならなくなる。
木曽と言えば、木曽義仲が以仁王の長男「北陸宮」を押し立てて、最初に兵を挙げた土地である。
この長男「北陸宮」がどのような経緯で木曽義仲の傍にいたのだろうか。
この「北陸宮」が以仁王の本当の子であるという証拠はあるのだろうか。
以仁王の子「鶴丸」は木曽に以仁王と一緒にいたのかいないのか、等等。
読む前から興味は尽きない。
まずは、著者の小幡充氏について記しておこう。
大将15年長野県に生まれ、長野県庁職員となる。
小幡充氏は本の中の「執筆を終えて」でこのように述べておられる。
「先輩郷土史家の『今となってはどうしようもない』と言う地方史軽視のやるせなさが脳裏からきえていませんでした」
全く同感である。中央による地方史軽視の痕跡は、以仁王逃亡説の至る所に存在する。
本に戻ろう。
第1章は木曽の史跡と伝説となっている。
第1章を以仁王関連でまとめると。
上松町に「王屋敷」という地名があり、そこに、以仁王と若宮と頼政が住まわれていた。
若宮というのは「北陸宮」である。
第2章は以仁王物語
この章には、柿花仄説、綾部市の高倉神社説、とは全く異なる脱出トリックが書かれていた。
柿花仄氏の皇子・逃亡伝説には、この小幡充氏の以仁王物語に言及している個所は一か所もない。
以仁王の脱出トリックは何ページもに渡って詳細に説明されている。
あらすじだけを書くのも難しすぎる。
原文を読んで理解していただくのが最も良いと思うので、一言の感想のみとしたい。
以仁王の子「鶴丸」は登場していなかった。どこに行ったのだろう。