古代の巨椋池
昔々に有った巨椋池の絵図(?)が有りましたので、紹介します。
下図の説明書きに『秀吉の時代』と有ります。
以仁王が居た平安時代もおおむねこのような地形だったと思われます。
以仁王が滋賀の三井寺から奈良興福寺に向かうとすれば、宇治を通るこのルートしか有りません。
さて・・・。
本物の以仁王は、平等院から巨椋池へ、大阪湾に向け川舟に乗せられました。
南方隊の偽以仁王は、奈良に入る寸前に、清盛軍に追いつかれ(わざと)討死します。
北方隊は、南方隊と同方向に向かい、南方隊が戦いになるのを見ながら巨椋池を大きく右に迂回して北に向かいます。
このことは、この巨椋池の地図から、京都府綾部市高倉町にある高倉神社の言い伝えの内容に合致すると思います。