旧湯之谷村の民家の蔵から発見されたという尾瀬三郎の言い伝えに関する古文書のコピーが届きました(2017,3,15)。
古文書の存在自体は、昭和62年の「広報ゆのたに」で既に紹介されています。
古文書は、民家の蔵の木箱内に保存されていたもので、今回、所有者の御厚意により、初公開いたします。
尾瀬三郎の言い伝えは、「昭和初期に時の有志により創作されたもの」とする説が有りました。
しかし、この古文書の存在により、相当古い時代から村人間に語り継がれてきたことが明白となりました。更に、古文書の「あとがき」には、「依頼者の所望により、書き写した」と記されており、今回の古文書よりも更に古い原本が存在したことも明らかになりました。
ここに公開したのは、「尾瀬三郎房利由来記」の全文と、「越後上田銀山草創記」の頭部分です。これは、「尾瀬三郎房利由来記」の最後の一行が、「越後上田銀山草創記」のページと単にかぶったためだけですが、皆様の御要望があれば、「越後上田銀山草創記」の全文を公開できます。
さて、「尾瀬三郎房利由来記」の最後部ですが・・・・・・。
「長寛元年より安政5年までおよそ696年」と記されています。
長寛元年は1163年、安政5年は1858年ですから696年は正解です。
「越後上田銀山草創期」あとがきに、安政5年の12月に書き写したと記されています。
次に、「寛永17年辰年より219年」と書かれています。これは、寛永17年が1640年ですので安政5年1858年まで219年でこれも正解です。
次の明暦3年酉年(1657年)から202年というのも、安政5年までの年月です。
この三行の意味は、
尾瀬三郎房利由来記の物語は、長寛元年(1163年)に起きたお話です。
上田銀石を発見した年は、寛永17年(1640年)です。
上田銀山が開坑したのは、明暦3年(1657年)です。
ということです。
この3行の文字の右肩に小さい文字が書かれています。
3行の文字は原本に書いてあった文字。
右肩の小さい文字は、安政5年に書き写した人が、その時、メモとして書き留めたものと思われます。