自在館の星昭氏から、尾瀬三郎房利の映画を作る計画が昔あったとの興味深いお話をお聞きました。
尾瀬三郎は尾瀬を発見した方として、広く村々に言い伝えが広まっていました。
当時の村の有志達は、観光開発の一大人物として尾瀬三郎を世に売り出そうと計画しました。
それが「尾瀬三郎物語の映画化」です。
当時の新潟県人会の重鎮に、東映(株)大川博社長が居りました。
村の有志達は、東京の本社に出向き、直々に大川博社長に「尾瀬三郎物語の映画化」を持ち掛けたのです。
大川博社長は、映画化を快く引き受けてくれました。
ただ、一つだけ条件を付けました。
「私どもは、今や、日本を代表する映画会社です。架空の映画は作れません。尾瀬三郎という人が本当に湯之谷にいたということを、明確にして欲しいのです」
村に帰った有志達は、山渓荘主人らを中心に、尾瀬三郎物語の脚本を試みたものの、大川博社長のただ一つの条件「実在の人物かどうか」の問題をどうしてもクリアできなく、やむなく、映画化を断念せざるを得なかったのです。